地 下 室

undergroundに生きたい

血の轍

なんにもする気になれなくて横になっていたのだけど、なんもしないのも落ち着かなくなってKindleで買った本を眺めていたら血の轍一巻を買ってた。(いつ買ったか覚えてない)

とりあえず一巻だけ読んでみたら続き読みたくて仕方なくなり、まとめ買いで8巻まで買って一気に読んでしまった。

最近は集中力があまりなく物語に入り込めなくて続きものの本や漫画があんまり読めない。ネットに転がってる漫画とかじゃなくてちゃんと続きものの漫画読んだのいつぶりか。久しぶりに集中できて楽しかった。

うちの親も大概過保護で、しかも両親揃って過保護だけど例によって自覚がないので厄介だった。今まで自主性をへし折られるような出来事がたくさんあったけど、本人たちは心配、のひとことで片付ける。

友だちに相談してもわかってもらえなかったしむしろ親に心配かけちゃだめとか親に感謝したほうがいいとかいわれるばかりで私は誰かに相談するのをやめた。

他人の善意が怖いときがある。勿論悪意の方がもっと怖いのだけど、そういう善意はわかりやすい怖さじゃない。よく言われる『●●のためを思って』という言葉を今までどれだけ浴びせられてきたのだろう

親はよく、自分がしてほしいと思うことを人にもしなさい、といったが、これは間違っていると思う。相手の気持ちが推し量れない時の方が多いけれどそれでも、どうして欲しいか聞いた上でそれにそって行動するべきだとわたしは思う。

あの人はきっとこれを望むはずだ、あの人にとってこれは良いことなのだ、

と自分の思想を押し付けるのは本当に迷惑。

あとわたしはいまだに大勢の人がにこにこしている風景が苦手。幸い親戚どうしで集まることはないけど、例えば仕事関係の飲み会とか、新しい場所で不意にフレンドリーに接してくる人がいたらとても警戒してしまうし あ、自分は母と同じところを辿っている、と感じて気持ち悪くなったりする。あまり親しくない人にお世辞いわれたりフレンドリーに接されるのがとにかくトラウマになっている。

そんな風にいいながら、私は自分が怖くなるときがある。

前に付き合っていた人との関係性構築を失敗して、母と子のような関係になってしまったことがある。自分があれだけ言われて嫌だった、心配、という言葉をなんども発してしまったし、いけないと思うのに先回りして相手の行動を咎めるようなことをしてしまったりした。あの時の自分は異常だった。

相手を信頼していなければ、尊重もできていなかった。自分の思い通りに相手が行動しないことに苛立つし悲しくなるし、気が狂いそうだった。なんにも手につかず、感情の起伏が激しかった。今思えば相手をどうにかして支配しようとしていたが、そうすればするほど相手は思春期の息子のように反発した(今思えば当然だ)相手も私の人格を否定するようなことをたくさん言ってきたが、私も態度で相手の人格を否定していたのだろうと思う

どうしてわかってくれないんだろう、とすごく感じていたがそもそも人格の切り分けに失敗していた。結局破綻してよかった。でも自分の中に恐ろしいものがあることに気づいた。そもそも今後相手もできければ結婚もできないとは思うが、そういう機会にもし恵まれたとしても私は子どもを持ってはいけないと思った。私は多分子に依存してしまう親になる

犬を飼っていても思う、犬に対して異常に過保護になってしまう、犬だからそれでいいのだと思うけど これが人間の子だったらと思うと恐ろしい。

血の轍、読んでいて、自分が親から受けた監視されているような気分、自由がない、精神的に支配されているうんざり感、抵抗しても無駄だと思う無力感、一時期マザコンのようになってしまったときのこと、自分がしてしまったこと、人との集まりの中にあるどんよりした空気感などいろいろ重なってきておもしろかったし、何より絵・描写が綺麗だった。続きはよ読みたい