地 下 室

undergroundに生きたい

成長痛を悲観することはない

お前には無理だって言ってくる人より、大丈夫できるよって言ってくれる人を信じられるようになりたい。

自分には何もできないと思ってた。人の役に立つこともないし厄病神だと思ってた。あながち間違いではないとは今でも思うけど、じゃあ自分は社会にとって絶対悪なの?と考えると、そういうのとはまたちょっと違う気がする。

自分のできることをできるって実感できてないだけだと言ってくれた人がいた。できないことが人より多いのは確かだけど、できることが何もないわけではなくて、できるっていうことがわかってない認知能力?の問題なのかと思いはじめた。

いまだに、人よりできると思えることはない。上を見ればきりがないので、胸張って特技とは言えないなとか、趣味も公言するほど深くないよなとか考えるわたしはたぶん頭でっかちなのだ。

ただ上手く適応できてないだけで、経験値や努力で補えるのであれば余地がある人間なのかなと思う、余地があるのなら頑張りたいしもっと理論的に自分を分析して逆算していく必要があると思う。

わたしには人の言うことを全て吸収しなきゃと思う節がある。裏読みが激しく批判や反対意見の方が相手の本音と感じやすい。芯が通ってないから、逐一人に言われたことでくよくよするし意見を曲げるし、そもそも何も言われないように自分を出さなくなってしまう。それでわたしはいいのか?わたしの自己顕示欲はどこへ行ってしまったの?

外にでれば一定数の対立してしまう人がいるのは仕方ない。できることならなるべく戦わず争わずいられたらそれに越したことはないけど、退屈な無個性はわたしが望んでいる自分じゃない。

攻撃を放っておけるだけのスルースキルが身に着けたいなら、守りの態勢から一変して思い切っていろんなところへ出向いて攻撃されてみる?揉まれてみた方が後々生きやすくなるのでは?体力が要るけど、年をおうごとにどんどん難しくなっていくのがわかるのだから、なるべく若い時にギリギリまで傷ついた方がわたしはいいのでは?

わたしは自分が思っているよりずっとタフなのだ。今生きてることがその証明だと思う。自分を過保護にしていても弱って辛くなる一方なのでは?同じ辛い思いをするのなら戦った方がいいのでは?逃げ癖つけても自尊心が削られてくだけ

とにかく人に迷惑をかけないようにと十代の頃の設定した目標に無理があった。親の口癖だったので疑わず、人畜無害であろうとしたけど、不可能すぎて自己嫌悪しかなかった。わたしはダメ人間だから人と関わるのやめようと自分本位で関係を断ち切ったり、好意を無駄にしたり、悪循環から抜け出せなくなってた。

頑張れば自分が人に迷惑をかけない人間になれると考えていたのがそもそも傲慢だった。自分で全て抱えて他人に案件回さずパニックになって逃げ出す人とか、冷静に考えたら一番迷惑じゃんばかじゃん。なんでも自分一人でできるように、とか、そんなことできると考えてた自分本当何様スーパーマン

そんなことがわからなかったわたしはただただばかだっただけなんだ、自分をばかでどうしようもないって言いながらそれが認められてなかっただけなんだ、ばかでどうしようもないならどう考えてどう行動すれば改善されるだろうかと、具体的に対策を練るべきだったんだ、別にばかでどうしようもないことは、致命傷ではないと言い聞かせて。

前向きな言葉で暗示かけて逃げないようにしてるそんなことしなくても、大丈夫な人もいるかもしれないし、ばかみたいって昔の自分に笑われるけどいいよね。いいよいいよ自己肯定感たかまれば絶対うまくいくよできるできるわたしはできる、できなくても別にまた次あるから心配ないよ。善人になる必要はないよ。自分を大事にできる人になろうね。